親密+理解=和 この中に人間は生きられる
『育てる心育つ心』 雑賀正晃師参照引用
理解し合う事にとって、聞く耳を持つという事が、これまたまことに大切な事であります。
相手の心の中に入りこんで相手の心をきく。
そこに生まれるものが「理解」であります。そのためには「暖かい思いやりの心」がなければなりません。
その事について深い感動を覚えた話を聞いて頂きましょう。
ある青年が、一頭のイルカを飼っていらっしゃるのです。自分の子どものように可愛がって育てているのです。
それは「飼育」ではなく「養育」といった方がいいくらいなのです。
食事のとき、名前を呼ぶと、さっと近づいて来て大きな口を開ける。自分の手で、その口にえさを入れてやるのです。
ところが「おあがり」と云うまでは決して食べない。
「おあがり」と云うといかにもうまそうに食べる。
そこまで躾けて可愛がっているのです。
ある日、食べさそうと、口の中に手を入れた時、パクリと食いつかれたのです。
こんな事は今までに一度もなかった事。
青年は痛む手の手当をしながら考えこんだのです。
「なぜ、噛まれたのだろうか」ここで私は理解ということが、どうして生まれるのであろうかを考えてみたいと思うのです。
この青年、第一に考えた事は「噛まれる筈はない」という事です。
といいますのはこの青年の自信なのです。
「自信」というものは、長年のつみ重ねを経てはじめて出て来るものでありましょう。
イルカに対する愛情の集積が自信となって「噛まれるはずがない」と結論させたわけです。
ところが今現に噛まれたではないか。
しかも噛む筈のないものに噛まれた。
何故だろうか。
思いついた事がある。
愛情が理解を生むのです。
「あっ病気なんだ」大変な飛躍です。
この飛躍の中に理解の力がみなぎっているのです。
早速獣医を呼んだ。腹痛だった。
「えらいぞ」噛まれて、ほめる世界もあるのです。