思っているつもりでいたら 思われいた私

『どの木もどの草も輝きながら伸びていく』東井 義雄師 引用参照

秋晴れの空に柿の実が色づき、夕焼けの色に輝きはじめると、毎年思い出す子があります。

それは芳子ちゃんという女の子です。

芳子ちゃんの家には、大きな柿の木がありました。

「善右衛門」という種類の甘柿でした。

「善右衛門」はずいぶん大きな木になる性質の柿で屋根のむねよりずっと高く伸びます。

実の甘味が強い「善右衛門」の一番おいしいのは、何といっても屋根むねより高い木のてっぺんの方で、しっかりお日さまの光を浴びた柿でその味は格別でした。

それが夕焼け色になるころになると、しっかり.充実して、頭の方の皮が破れてひび割れます。

ひび割れたところをお日さまにしっかり照らしだされるので、ちょうど黒糸を何重にも巻きつけて鉢巻をしているように見えるようになります。

その味は抜群なのでした。

芳子ちゃんは、あれがおばあちゃんの歯にあうようになったら、おばあちゃんにあげよう、あれは「おばあちゃんの柿」だと考えてきたのです。

その「柿」がいよいよ美しく輝きはじめ、学校から帰ってきた芳子ちゃんは、はしごを柿の木にさしかけました。

先を割って柿をはさみとれるようにした長い竹ざおを柿の木にたてかけました。

そして登っていきました。竿が届ません。

はしごよりもうひとつ上の枝に上がりました。

「芳子、おちんようにしておくれよ」

それは大好きなおばあちゃんの声でした。

はるか下で、おばあちゃんが心配そうに、芳子ちゃんを見上げていてくださっているのでした。

翌日、芳子ちゃんが私に見せてくれた日記には

「おばあちゃんのことを、一生懸命思ってあげているつもりでいたら、いつの間にかおばあちゃんの方から思われてしまっていた」

と結ばれていました。

こんなところに、私に日記で訴えずにはおれないほどのよろこび、しあわせを感じとってくれる芳子ちゃん心の豊さが、私の心を揺さぶるのでした。