何もかも、我一人のためなりき 勿体ない 有難い 申し訳ない
『この人生を生きる』雑賀正晃師参照引用
だいぶん前の事になります。
あるお寺へ参りまして、夜の講和を済まして、すぐ寝させて頂いた。
その真夜中のこと、大変な地震でした。
書けば長くなりますが、一瞬の出来事と考えて下さい。
びっくりして、飛び起きて、兎に角、逃げねばならぬ、そのためには、何はさておき電灯を、と起き上りましたら、電球が頭に当たった。
すぐ、スイッチをひねってみましたら、すでに停電している。
さて困った、私の習慣として、寝る前に、必ず枕許に、時計と燐寸(マッチ)とラジオを置いておくのです。
あわてるという恐ろしい事で、どちらが頭側やら分らんのです。
まあこの辺かと座りながら手を出した。
実は、寝る前、御住職が、
「大切なお 体、風邪でもひいて貰ってはたいへんだから」
と練炭 火鉢に大きなヤカンをかけて、その上に蓋を取っておいてくれたのですが、その煮え湯の中に、手を突っ込んだものです、
熱かったの何の、びっくりして、手を払った、その拍子に、横にあった青磁の水差しをひっくり返して、煮え湯が灰神楽を立てる、水差しが粉々になる、驚いて横に飛んだ、その拍子に、机の角で、向う脛を思いさま打った、痛いの何の話にならぬ、どうでもせいと、布団に座り込んだ、そのトタン、電灯がついて、地震も止んだ。
奥さんを呼んで、後始末が大変でした。
どうにか片付いて、床に入ったものの、手がヒリヒリして眠れないままに、あれこれと考えつづけた時、ハッと思ったのです。電灯が消えていたので、マッチを取ろうとして手を出した。
処が、私の周りには邪魔ものばかり。
処が、電灯が点ってみると、邪魔ものは、一つもない、火鉢も要る、水差しも必要、机もなけりゃ困る、一切が必要なもの、それが停電と共に、邪魔ものになる。
邪魔と必要。
ものが二つあるのじゃない、闇の中では邪魔になる、それが光の中では邪魔じゃない。
仏教では智慧は光明のこと、光に遇うてみよ、全ては私一人の為にこそ存在する