長い間お世話になりました
お礼を言うて終える人生
『喜んで生きる』 雑賀正晃師参照引用
あるお寺で、夜の講話を済ましてから、ご住職と四方山話に花を咲かせながら、盃をかさねていたのです。
(略)さて、その夜のことなのです。
さきほどから、いつの間に入って来たのか一匹の猫がご住職のひざの上にちょこんと、ここが我が生涯最高の安らぎの場ばかりに座りこんでいるのです。(略)ところが、その猫が暫くしてやおら起ち上がって住職の膝から降りて「ウ―ン」ばかりに背を丸めたかと思うと、今度は大口を開けて思い切り背伸びして、すたすたと、私達二人の廻り出したではありませんか。
「おい、ありゃ一体、なにをしとるんじゃあ?」
「ああ、あれか、よう見とってみ!飼い主が賢いとなあ、猫まで賢くなるじゃ。
(略)いま出口を探しよるんじゃ」
「出口?」
「そうよ、まあどうするか、よう見とってみ!」(略)なんと、この猫が(略)すーっと障子を開けたではありませんか。
「なんと、うまいもんじゃ」
「どうじゃ、感心したろう。動物というものはなぁ、必ず飼い主に似るじゃ!」(略)そう言えば、世界中で日本の犬が最もよく吠えるのだときいたことがあります。(略)これも飼い主に似るのだと思いますと、(略)なかなか面白いものです。
そんなことを考えながら(略)帰り途、はたと思いついたことがあるのです。
早速、手紙を書いたのです。「あの猫には本当に感心したが、よくよく考えてみると、最も大事なことが抜けていることに気がついた。
足らぬところが一つある。
ほかでもない。
あいつは自分で障子を開けて出て行きはしたが、出たあとその障子を閉めなかったじゃないか。
開けたら閉める!このことが出来ずになにが自慢になろうか。
いいか今度行く時まで閉めることを教えておけ!
まして飼い主に似るのでは猶更のことではないか。」開けたら閉める。
この大事なことが私達人間にさえ、なかなか出来ていないのではないでしょうか。