忘れられないものが心を縛る その執着がこぼれて愚痴となる

この人生を生きる雑賀 正晃 引用参照

或る禅の師家が、「忘れる」と云う書物を書いていらっしゃいます。忘れる事が、生活の智慧である。

いつまでも小さな事を、くよくよと思い煩っているからつまらんのだ。

忘れなさい、忘れる事が仏教の悟りなのです。

と云った意味です。

そして、原担山和尚の逸話が載せられてあります。

(略)明治の生き仏と云われた担山和尚が、ある時友人何人かと旅をして、とある大きな河にさしかかった。処が夜来の雨で濁流が渦巻いて流れている。

渡し船も出そうにない。

その時、気の利く一人が、俺について来いと、裸になり、着物を頭にくくりつけ、青竹で桟橋を探りながら渡り出した。皆が、その跡に続いた。

ふと側を見ると、若い女がいかにも困惑の態で立ちすくんでいる。

「娘さん、どうなさった」

「ハイ、母が病で、すぐ帰れと云うて来たので、急いで此処まで来たのですが、この水ではどうにもなりませぬ。万一、母の死に目に逢えなかったらと、気が気ではないのです」

「おお、そうかい、そりゃあ大変だ。よし、ワシが抱いて渡してあげよう。(略)」

娘を抱いて河を渡りだした。

娘は怖いものだから力の限り和尚にしがみついている。

さて、先に行った友人達、向岸に到いて、振り返ってみると担山和尚が、娘と抱き合いながら渡って来る。

憤然とした友人の一人が「おい、見ろ。(略)あんまりじゃないか。行こう」とさっさと行ってしまった。

やっとの事で向こう岸に到いた和尚、「すまなかったなぁ、遅れてしもうた」(略)誰も口を聞かぬ。

「事もあろうに川で女と抱き合うとはに何事だ」担山和尚は大笑いした。

「そうかい、お前さん達、まだ女を抱いているのか、俺はもうとっくにおろして来た」

忘れられたら、捨て去れたらどんなに心が軽くなるだろうに。

忘れられぬから心が重いのです。