叱る ホントにボク(ワタシ)が可愛いの?

『育てる心育つ心』  雑賀正晃参照引用 

人間というものは、誰しも認められる事に大きな喜びを感じるものであり、また必ずそれに答えようとするものであります。

しかし、人間である以上、ましては子供でもあれば尚のこと、ほめてばかり居られるものではありません。

又それだけでは、正しい教育とは云えません。

歪みは正さねばならないのです。

そのためには思いきり「叱る」事もまた大切な事であります。

あくまでも子供を伸ばすために「叱る」のです。あるお寺の講話を終えて、付属の幼稚園を見させて貰おうと、教室から教室へと歩いて居りましたら、一番奥の教室から、大声で園児を叱っている声が聞こえたのです。

じっと聞き耳を立ててみましたら、どうやらこの子は、お友達をいじめたらしいんです。

烈火の如く、という形容詞がありますが、若い女の先生らしいのですが、ものすごい剣幕で叱っていらっしゃるのです。

余程のいたずらをしたに違いありません。

その時、私はこの始末をどうつけられるだろうかとかたずをのむ思いで、じっと聞いて居りましたら、その先生うんと叱ったその最後に。

「・・・あんたはね、そんな子じゃないの。とってもいい子なの、先生知ってるのよ。
おととい、みんなが帰って仕舞ったあとで、あんたがひとり砂場を綺麗にお掃除して、お道具も片付けてくれたじゃないの。
先生窓からみててね、何ていい子なんだろうって、先生とっても嬉しかったの。
そんないい子が今日のような事をするとね、先生はとっても悲しいの。
もうしないわね。そう、それで安心した。
では、先生と指切りしようね」

どうやら先生も泣いていらっしゃる様子です。

つくづく感心させられた事でした。

これでこそ叱られる子供も、叱られながら納得するでありましょう。

叱りっぱなしは断じていけません。

一寸ゆるめておいてやりたいものです。

勿論ゆるめすぎてはならないことは云うまでもありません。