ゆるされて包まれてぬくもりの中で安心して生きる

こころの味を大切にする家庭』  東井義雄参照引用 

私は昨晩、私のところに集まってくれた村の婦人の皆さんに、「おたふくの顔」の話をしました。

私も、人から聞いて知ったくらいのことですが、あれは、昔の婦人の皆さんが念願した「五徳の美人」の顔なのだそうです。

「五徳」とは何か。第一は「目」憎しみの目ではなくて、慈愛の目、喜びの見える目、たとい表面は醜く汚れていても、そのもうひとつ底にある尊いものを見抜く、深い目、とらわれのない澄んだ目、それが第一の徳だそうです。
この目は仏さまの目に通じます。

第二には、生きとし生けるものの声なき声も聞きとることのできる耳。
ことばにならないことをも聞きとることのできる耳、これが第二の徳だそうです。
そういわれてみると、ずいぶん大きい豊かな耳になっています。
これも仏さまの耳に通じるようです。

第三は、豊かな頬、ふくよかな頬です。
愚かな子も、賢い子も、いうことを聞かないやんちゃな子も、みんな包みこんでくれる頬、(略)ふくろのように、相手の形に応じてはたらく「おふくろ」の名がふさわしい頬。(略)この「頬」も「凡・聖・逆・謗」すべてを摂取してくださる仏さまのお心に通じるようです。

第四は口、相手をやっつけるとがった口ではありません。
皮肉というゆがんだ口ではありません。
へつらいの口でもありません。
喜びのことばがおのずから出てくる口です。
優しい口です。
これも仏さまのお口に通じるようです。

第五は、それらすべての真ん中にある鼻です。
高慢な鼻ではありません。
自己中心の傲慢の鼻ではありません。
謙虚な、慎みの鼻です。
それがすべての中心にあるということにも、何か意味がありそうに思えます。

これは「和顔悦色施」の「顔」のモデルのように思われます。
鏡にうつったぞっとするような私の顔とは真反対の極みです。